佐賀大学と線虫(1952年〜)

佐賀大学における線虫の研究・教育は、1952年に横尾 多美男(よこお たみお)氏が農学部の前身である文理学部(農学専攻)へ赴任したことから始まります。横尾氏は、1955年に創立された農学部農学科の植物保護学教室の教授となりますが、その後、1968年には園芸学科創設に伴って、植物病理学教室と応用動物学教室に分かれ、応用動物学教室は、教授に横尾氏、助教授に石橋 信義(いしばし のぶよし)氏、助手に近藤 榮造(こんどう えいぞう)氏という、線虫を専門とする教員3名の研究室となりました。横尾氏の退官後に石橋氏が教授となり、応用動物学教室は昆虫学を専門とする藤條 純夫(とうじょう すみお)氏を助教授、近藤助手の体制となりました。改組に伴い1996年には線虫を専門とする石橋氏と近藤氏による土壌生態系調節学(Nematology)が誕生しました。1999年の石橋氏の退官の後、吉賀 豊司(よしが とよし)氏が助手として着任しました。2000年には分野名を線虫学(Nematology)として近藤 教授・吉賀 助手として新たなスタートを切りました。2009年3月の近藤氏の退職後は、教員は吉賀氏だけとなり、現在まで続いています。


日本の線虫研究の歴史

線虫は小さくて観察が難しく、顕微鏡の発展と普及に伴って本格的に始まったため、線虫学は比較的新しい学問です。
日本の線虫研究にはいくつかの流れがあります。一つの大きな流れは大学から始まるもので、最も古いのが、大正-昭和時代の動物学者である東京大学の鏑木 外岐雄(かぶらぎ ときお)氏の流れを汲むものです。横尾 多美男氏は、鏑木氏の元で線虫を研究した4名の門下生(横尾 氏、彌富 喜三(いやとみ きさぶ)氏(静岡農試から名古屋大)、高木 信一 氏(新潟農試、静岡農試、農技研)、渋谷 正健 氏(鹿児島大))のうちの一人です。日本の線虫研究の黎明期には、これらの方々が大きく線虫研究の進展に貢献されました。ちなみに、横尾氏は佐賀県の小城町(現在の小城市)出身、線虫学会の前身である線虫研究会の初代会長を務められた彌富氏は佐賀市出身であり、佐賀は昔から線虫研究に縁がある場所です。